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蕭譲と蒋敬
〜 夢見る学生達の着地点 〜


「聖手書生」の異名を持つ蕭譲は書道の達人で、当時の名文家の書いた字を 寸分違わず真似ることができるという能力を持っていました。
かたや「神算子」こと蒋敬は計算の達人で、膨大な桁数の計算でも素早く、かつ 正確に行うことができました。
さてこの二人、武装集団である梁山泊においては事務員みたいな地位の人物ですが、 梁山泊に入るまでは何の接点もありませんでした。いや、梁山泊入りした後も、あまり 接点は無いです。こんな二人を結びつけるキーワード、それは”書生出身”ということです。

書生、という立場・・・まあ就職浪人ぐらいにとらえておいてください。就職試験は、いわゆる科挙という奴 ですね。蕭譲の方は、科挙を受けたのかどうかと言うのは解らない(梁山泊に拉致されたため)の ですが、蒋敬は科挙に落ち(ていうか科挙に数学って無いですよね)、盗賊に身をやつしたという経歴が語られています。

蕭譲は自分の将来を梁山泊の手で閉ざされました。しかも彼が拉致されたのは公文書偽造の 片棒を担がせるためでした。
蒋敬の方はというと、盗賊になることで自らの将来を閉ざしてしまいました。「新たな自分を見つける」と 言えば聞こえは良いのですが、転落したエリートといった感じで悲しいものがあります。

未来のレールを変えられた蕭譲と、未来のレールを自らはずしてしまった蒋敬・・・ 対照的に見える両者のエピソードは、どちらも当時の世情を反映しているように思われます。 彼らは思いっきり地味なキャラなのですが、そんな彼らにも等身大のリアリティを持たせている辺りが、 水滸伝が人々の共感を呼ぶ魅力の一つなのかも知れません。

さて、こんな二人ですが、人がガンガン死んでいく後半でも生き残ります。そして彼らはそれぞれに 梁山泊入り以前よりも遥かに良い地位を与えられます。
蕭譲は、書道の名家に教師として招かれます。独学の真似っ子書道が、一流であると認められた のです。将来を一度は閉ざされた彼ですが、書の精進を怠らず、山賊という特殊な状況でも 自分にできることを行い続けた結果でしょう。
蒋敬は、役人としての地位を与えられたものの、それを辞して庶民として暮らしたと言います。 かつて書生として望んだはずの地位・・・それを拒んだ彼の心中は、まさに覆水盆に返らずと言ったところ でしょうか。盗賊に転じたという、かつての自分の行為を否定する行為を嫌ったのかも知れません。

ともあれ彼らは盗賊から政府軍になり、最後には平民に戻ります。
彼らにとっては、梁山泊も「無茶した学生時代」のようなものなのかも知れないですね。

 

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